郷土の史跡
甘粕事件 橘宗一少年の墓碑(あまかすじけん たちばなむねかずしょうねんのぼひ)
1923(大正12)年、関東大震災の混乱の中、叔父の大杉栄とその内縁の妻である伊藤野枝とともに、憲兵隊に殺害された橘宗一(当時6歳)の墓。
大杉は社会主義活動を行っていたアナキストで、伊藤は作家で婦人解放運動に参加していた。アナキズムは支配のない状態を理想とする考え方であり、政府転覆を企てているとして当時政府に警戒されていた。関東大震災後より2日後、東京には戒厳令が布かれ、警備部隊が配置され自警団も組織された。震災から2週間後、橘少年が大杉・伊藤に連れられて東京を訪れた際に、大杉の自宅近くで甘粕大尉ら憲兵に連行され虐殺された(甘粕事件)。亀戸事件と同様、不法弾圧事件である。
橘少年の墓は昭和初期に父、惣三郎によって名古屋市千種区の日泰寺に建てられ、墓碑の裏面には「犬共ニ虐殺サル」という怒りと無念の言葉が刻まれている。甘粕事件から100年の区切りに橘家(現戸主:橘幸典)の菩提寺である直心寺に移設された。
直心寺は七宝町秋竹四町田484、七宝町桂バス停より徒歩3分
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